私は若くして結婚しましたが、今思えば、20代の私は、慣れない土地(アメリカ)で生活していくことに精一杯で、子供を作りたいという余裕がなかったのかもしれません。
文化の違い、言葉の壁、方言交じりの英語を聞き取り、慣れない土地での車の運転(日本と逆)など、「毎日生活していくこと」がやっとでした。
結婚後もしばらくは夫婦2人だけの生活で十分だと感じていたと思います。
30歳を過ぎた頃から、甥や姪ができ、そして友人の子供達と過ごすことが多くなり、私も将来子供がほしいと思い始めました。
その頃から、「妊娠・妊活」という言葉を意識し始めたと記憶しています。「妊活」で始めたものをリストにしてみました。
私が妊活で始めた6つのこと
①基礎体温(健康状態を知るため)
毎日測っていると低温期が長く・高温期が短いことから、全体的に低体温などに気がつき、自分が冷え性だということを初めて知りました。
②体を温めるために実行したもの
体操では、スクワットとレッグレイズ、有酸素運動(エアロビクスやウォーキング)。
飲み物では、たんぽぽコーヒー、生姜紅茶。その他として足湯。
③質の良い卵子を作るために摂取したもの
葉酸、豆乳、グレープフルーツ、マカ、プロテイン、マルチビタミン。「良い」と言われるものはほとんど試したつもりです。
ただ、「あれもこれも取っているのに、未だに妊娠できない」と逆にストレスになり、基礎体温がぐちゃぐちゃになってしまったのも事実です。
そこでココから病院通いがスタートしました。
④アメリカの病院へ通う
様々なテストをした結果、私のAMH(卵巣内にどのくらい卵の数が残っているか)の数値が低いこと、精子の運動率が悪いことが判明。そこで「顕微受精」をすることになりました。
アメリカ1回目:
できるだけたくさんの卵子を取るため、排卵誘発剤の自己注射を朝晩打ちましたが、採卵数日前の診察で、「卵胞が育っていない、育っていても1つか2つ。」と 言われ、キャンセルになりました。
(その病院の方針は、採卵数が1つや2つでは、受精する確立も着床する確立も下がるという理由で採卵はキャンセルにするそうです。)
アメリカ2回目:
1回目より多く卵子を育てるために、同じ種類の注射を朝晩、しかも量も倍以上に増えて、自己注射を始めました。
しかし、採卵数日前の診察で、1回目と同じ状態だといわれ、更に先生から、「あなたの卵子では顕微 受精は難しい、卵子を提供してもらうか、養子縁組を考えてください」と言われました。
私は、1回目2回目がキャンセルになったけど、3回も今までのようにチャンスがあるのかと思っていました。
しかし終わってから、「これがラストチャンスだったのよ」と言われ、病院側の対応も悪く、先生に言われた言葉で、私は奈落の底に落ちた気分でした。
その日からしばらくは、ショックで放心状態、毎日ずっと泣き続けていました。
⑤漢方の服用
こんな状態が続き、生理が止まってしまいました。
そこで友人に紹介してもらった漢方の先生にメールを送り、事情を話したところ、漢方の先生から「抑肝散加陳 皮半夏(よっかんさんかちんぴはんげ)」と「温経湯(うんけいとい)」を薦められ、その後「当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)」を服用するよう、指示していただき、無事に生理も再開しました。また漢方の先生に非常に温かいお言葉をかけていただいたお陰で立ち直ることができました。
⑥日本の病院へ
日本の病院へ国際電話で問い合わせてみたところ、日本の病院では、たとえ採卵数が1つや2つでも顕微受精をしてくれることが分かり、そこで長期で日本への帰国を決めました。
日本1回目(A)採卵と新鮮胚移植:
アメリカと違い、自己注射ではない代わりに、毎日病院に注射へ通いました。採卵数は7個、そのうち4つ受精に成功。
4つの受精卵のうち2つを新鮮胚で戻し(残りの2つは、凍結)しかし残念ながら、着床しませんでした。
日本1回目(B)凍結胚の移植:
凍結してあった2個の受精卵を戻しました。今回は着床したものの、5週目で流産となってしまいました。(凍結したものを戻した方が着床率が上がると聞きました。)
日本2回目(A)2度目の採卵(採卵のみ):
2度目の採卵でも7個取れました。そのうち5つ受精に成功し、一旦5つ全て凍結しました。(
新鮮胚を戻したときに着床せず、凍結したものを戻したときに着床したので、今回は全て凍結)今この状態で、次回の帰国で凍結胚を戻す予定となっています。
2ヵ国の不妊治療で感じたこと
不妊治療は、旦那様の協力がなければ続けられません。そして何より信頼できる先生と看護師さんのお陰で私はここまで辿り着けました。
不妊治療は、先の見えないものすごく長いトンネルです。この長い道のりは、不妊治療をしている私たちに与えられた試練なのです。
この試練だからこそ、私は無駄ではないと信じています。
そして将来、もし子供を授かれなかったとしても、私は「治療している人の気持ち」を人一倍理解できる優しさを学べたと思います。
不妊治療していない人には、悲しさや辛さの想像はできても、私たちのように身で感じたことがなければ、到底理解できることではありません。
アメリカの病院に通い始めた頃は、「病院に通っていれば、授かれる」と思っていましたが、治療がうまくいかないたびに「どうして私だけー!」と何度も泣きました。
でも泣きたい時は思いっきり泣いていいんです。
今こうして、家族や先生、看護師さんたちに支えられて、ここまで気持ちの整理がつきました。この気持ちを忘れずに、「今できることをできる間」、頑張り続けたいと思います。