妊娠することに「私はすぐに出来るから大丈夫」なんて何を根拠に思っていたのか(笑)
今は芸能界でも妊活を公表してブログなどで紹介されていますが、ほんの数年前はそこまで表立っていなかった様な。
妊活期間は2010年~2013年です。結果妊娠し、おかげ様で2013年に男児を出産しました。
妊活中の方、これから妊活される方に少しでも参考にしていただけたら有難く思います。
目次
★まずは結婚から
2009年結婚したのは36歳。正式に言うと後数か月で37歳になる時でした。
仕事ばかりしていて自分と向き合っていなかったのと、亡き父が「お前は結婚しないか、しても遅いんじゃないかと思う」と言われていたのが全くその通りと思っていました。
毎日友達と飲んで騒いでいるのが楽しく、結婚したら飲みに行けないからしなくてもいいや。なんて考えていたんです(実際結婚しても飲んだくれていましたけどね 笑)。
そんな私が退職と共に出会った彼と結婚するなんて正直びっくり。
しかも大好きなハワイで挙式出来、幸せいっぱい!それだけで十分。
毎日楽しいし子供は出来たらそれでもいいや。出来なかったら出来ないで旦那とのんびり旅行行ったりしたらいい。と心から思っていました。
★子供欲しい?
2010年。結婚して1年、何度か仕事で海外へ出かけている最中にお客さんから「お子さんはどうするの?」と結構聞かれる事が増え、「コウノトリに任せているので~(笑)」などとたいして欲しい気持ちもなく軽く受け流していたある時、テレビで高齢出産の特集を放映されていて、当時の私の年齢38歳=妊娠率が下降中と見聞きする。
そうか!だったら子供を作ろう。と考え始めたのです。今までこの件に向き合っていなかった主人に「子供欲しい?」と聞いたら「うん。欲しいに決まっているよ。」という返事が。
知らなかった・・・。子供が出来たら出来たで。なんて軽く考えているのは私だけでした。そこから妊活スタートしたのです。
★すぐに子供は出来る?
妊活スタート年齢38歳。テレビでは平均して36,7歳辺りから妊娠率が下降してくる。と専門家が言っていたけど、生理周期ぴったり28日なのと、昔から基礎体温だけは心がけてつけていたので、排卵日辺りに仲良しすれば出来る。簡単じゃないの?と思っていました。
1周期目・・・あれ?生理来ちゃう。仕方ないかぁ
2周期目・・・まただめ?
3周期目・・・ガーン!!!まただ!
簡単と言い放っていた自分でしたが自信を失くしました(既にこの時点で挫折)
と、同時に子供がどうしても欲しいスイッチに切り替わったのです。
★漢方に頼り始める
2011年。可能な限り自然に妊娠したい。とまずは漢方療法から。
近所にある漢方薬局が不妊相談を受けているというので主人と一緒に相談してきました。処方された漢方はお値段も高い上、すんごい匂い!
元々狭いマンション住まいのもので、家中が漢方の匂いでいっぱいでした(笑)
漢方を飲み続けて3周期トライ。まーったく妊娠に至らず・・・。漢方医の先生よりまずは婦人科で見て貰い、結果を見て漢方と並行して行きましょう。という話になり一時中断しました。
★婦人科に頼り始める
39歳になった月より近所にある不妊外来を受け付けている婦人科へ通う事に。
婦人科苦手です。漢方に頼って自然に妊娠したいと言っていましたが、裏理由として婦人科であの台に乗るのがどうしてもイヤだったんです。
あ、でもここの婦人科を通ってからは歯医者さんで口を開ける感覚なくらいヘッチャラになりましたけどね(すごい言い回しだけど 笑)。
男性の先生でしたがとても優しい上フランクな方で、心配事など全部聞けました。
先生の計画によると
- クロミッド(排卵誘発剤)を飲みながら内診しタイミング療法
- 2、3回しても妊娠に至らなかった場合、卵管造影検査の上、AIH(人工授精)
- 何度かトライしても難しかった場合、意向によっては体外受精の病院を紹介するという事でした。
体外受精なんて私がするわけないでしょ。その前に妊娠するでしょ。とまた訳の分からない自信を持っていました。
この先どんどん高度な治療へと進むことも知らずに・・・。
★婦人科での治療スタート
ステップ1:タイミング療法
クロミッドを飲んですぐに妊娠へ!と意欲満々でした(今になっては考えが浅はかだわ)
新しいスタートを切った気分で意欲満々でした。
~結果 タイミング療法2周期すべて空振り!~涙が出ました。
ステップ2:卵管造影検査
先生の話によると、相当痛いとのこと。先週検査した方は食べた物を全部戻してしまい、それはもう大変だったとか。
なのでお昼ごはんは控えて欲しいと言われました(検査は午後からでした)。
ゲッ!どんだけ痛いの?怖くて怖くて仕方ないんだけど!
この辺りからPCで色々と調べることが増え始めました。どれだけ痛いのか。どんな事をするのか。半数以上の方が相当痛かった。とブログに記載されていました・・・。
しかも卵管が詰まっていたら更に痛みが伴うとか。検査当日、もうドキドキで大変。
結果、先入観が強かったせいもありとても痛く感じました。検査中先生に出産はもっと痛いのか?と聞いたら僕は男だからわからないけど、比じゃないと思うよ!と言っていました。
気絶するまで痛いとは感じなかったのか少しばかり余裕がありレントゲンを見せてくれました。造影剤はすーっと卵管を通っていました。ほっ!良かった。
情報によると造影検査後は妊娠しやすいとのこと(先生は言っていませんでしたが)。
後、今後人工授精(これからはAIHと呼称します)をするかどうかご主人と相談して欲しいと聞かれ、主人に聞いてみました。
主人に検査結果の事と今後どうするか?聞いてみたら
「検査辛かったね。でも異常があった訳じゃないのにどうしてだろうね。最近は不妊の原因は男性にもあるって聞いているから僕も一度調べてみるよ」と言ってくれました!
もしかしたらのもしかしたらそうかも知れないもんね。
早速専門にしている病院へ連絡して予約してくれました。ありがたや~
ステップ3:男性不妊外来
予約当日私も同行。受付でサラッと「このカップに精子を採ってきてください。」と言われてびっくり。
何もかも初めてなのでいきなり言われても。とちょっと可哀想になりました。
でも主人は初回でビビリながらも採取して貰い感謝感謝。そこから待つこと1時間半。長いな。呼ばれて結果が出ました。私は先生の言い回しや表情でわかってしまったのです。
「乏精子症」。精子が精液の中にいることはいるけど、主人の場合、数えられる位しかありません。この状態では自然妊娠はゼロに等しいとの事。
主人は異常なしと言われると自信を持っていた様で(私と一緒)、もうこの場から出たくなる位耐えられない様なショック具合。
処方薬を飲み、来月また検査するので来て下さい。と病院を後にしました。私は不妊の原因の一つがわかり子供が欲しいという気持ちは吹っ切れたのです。
「もうさ、子供が欲しいという第一願望はやめよ!AIHとかも止めて奇跡的に出来たらラッキー位にしようよ!」
でも主人は諦めたく無い。と大好きだった煙草をその日から止め、私が通っている病院へ行って先生からどうしたらいいか聞きに行きたい。
と今まで私任せの様に見えた治療から積極的になってくれたのです。婦人科の先生は薬の処方と生活を見直して再検査の結果が出た時点で再度今後の治療方針を考えましょうとのこと。
1周期お休みしました。その間私と共に不妊に良いと言われていた葉酸を飲む様にしました。
・・・1ケ月後、再検査へ。
驚いた事に増えていていたのです!ただただ、自然妊娠に至るまでの数では無い様で、これから子供を望むならAIHもしくはIVF(体外受精)を勧められました。
その足で婦人科へ出向き先生に報告。AIHをスタートすることに。
ステップ4:AIH(人工授精)
治療経験のある方はご存知かと思いますが人工授精は採精した精子を洗浄・濃縮し、排卵日に合わせて精子を子宮に戻す方法。
・初回
これで赤ちゃんが出来る!と喜びでいっぱいでした。
授精後黄体機能を管理する薬(私はソフィアという薬でした)を飲み続けていたので基礎体温を測ると高温期が保たれていたのでこのまま高温期が続いて欲しい。
お願いですから赤ちゃんが出来ます様に!と願うばかりでした。治療後は大好きなお酒はもちろん禁酒。運動も控えめと心がける。
そしていよいよ妊娠判定日!ドキドキ~!!が!陰性。。。落ち込み度合が半端じゃありませんでした。帰宅して大声を出して涙。。。
この後、2周期続けて人工授精を行った結果、全て陰性。2回目、3回目と続けましたが人工授精は私の場合妊娠しないんじゃないか?と感じてきました。
と、同時に先生より体外受精を勧められました。
主人とは3回続けて無理だったら体外へステップアップしようと決めていたので、即座にお願いし先生の大学時代の後輩が開業されている不妊治療専門病院を紹介してもらったのです。
★高度不妊治療1
2012年4月:先生から預かった紹介状を手に体外受精を扱っている病院へ。
PCでIVFの治療法など調べたつもりでいましたが、説明されてもほぼ何を話しているのかあまり良くわかりませんでした(後に説明会があり理解出来ましたが)。
ただただIVFは費用が高いのと、仕事と並行するのでスケジュールをうまくコントロールしなければ。と言うのには覚悟が必要でした。
まずAHM(アンチミュラー管ホルモン)値を調べました。当時の私は39歳でしたが数値は27.2と年齢にしては良い方とのこと。
治療法はロング法と言い、点鼻薬とhmg注射で卵巣を刺激をし、採卵時に多くの卵子を取り出して受精卵と凍結させ、胚移植を続けると言います。
毎日毎日注射をするのに病院へ通い、1回の注射代は9450円!内診が入るともっともっと高い!
刺激をするためどんどん下腹部が重くて辛くて気分も全然すぐれない感じでした。
そして採卵。静脈麻酔で少し痛みを和らげている様でしたが痛いのなんのって!!!
卵胞は20個以上ありましたが、正常に採れた卵子は7個でした。主人も採精し早速受精。
運動率があまり良くなかったので全てICSI(顕微授精)にしたそうです。
数日後、先生から連絡が来ました。受精して分割し続けている受精卵は7個あったのにたったの1つ・・・。現在4分割とのこと。後は分割ストップしてしまったそうです。ショック!
その分割中の1つは胚盤胞まで待たずに移植した方がいいとのことで、日時を決めて早速胚移植することに。
胚移植当日、先生より話を聞く。現在分割している受精卵はちょっと速度が遅めらしい。でも移植出来ますからね。と嬉しいのか嬉しくないのかよくわかりませんが無事移植出来ました。
移植後は本当に赤ちゃんがお腹の中に来たのではないか?と判定日まで毎日幸せに感じました。赤ちゃん!無事に育っていてね!
そして2週間後の判定日。血液検査を行い結果が出るまでもう心臓が飛び出そうでした。結果「陰性」。先生は悪くないのにごめんね。って。
病院を出て大声で泣き叫んでしまいました。私には明るい未来はこの先無いと思いました。
★高度不妊治療2
2010年5月:陰性のショックで毎日どんよりしていたある日、毎年行われる小学校の同窓会に参加しました。
当時の担任の先生とは卒業してから長いお付き合いで、私の結婚の報告に涙して喜んで頂いた位親身で熱い方でした。今や校長を経て引退されていますけど。
お酒を交わしながら色々と話していたら突然「都内に不妊治療専門の良い病院があって、治療をしている僕の教え子がみんなそこで赤ちゃんを授かったらしいんだよね。」と、
私、先生に不妊治療をしているなんて話もしていないのに何故わかるの???ってびっくり!その病院は体外の治療をされている方はほとんどの方がご存知かと思います。
私もすごく気になっていたのですが、通院している方のブログなどを読んでいると1日にものすごい数の方が通院されていて3時間待ちは当たり前。
先生の診察は秒殺などあまり快く思っていませんでしたが、占い師か?という様な担任の先生の導きに早速通おう!と決心したのです。
早速、病院へ電話。予約は要らないとのことで勇気を振り絞り病院へ。
最初にお会いした先生は当時の副院長先生でした。前回までの治療を報告しましたがほとんどスルー(笑)「早いところ卒業しちゃいましょうね」って。この一言が治療に前向きになれたのです。
いよいよ体外2件目の治療通院がスタートしました。
1周期:2012年6月下旬
この病院は注射せず点鼻薬と薬のみで低刺激且つ、自然に近い状態で採卵するという方針とのこと。
前回の病院は毎日注射による刺激で卵巣がパンパンに腫れて辛かったがすごく身体が楽でした。通院も生理3日目と排卵時の約12日目、状態が良ければ採卵。と数も少ない。
1周期目の採卵日決定日は私の40歳の誕生日でした。とっても嬉しい誕生日だったことを覚えています。
2010年7月初旬:いよいよ採卵。この病院は特殊な針を使っているとの事で麻酔をしないで採卵できるとの事。
え?麻酔しないなんて気絶しちゃうでしょ?当然。とすごく緊張していました。
結果、もちろん痛かったですが耐えられました。
採卵後、採れた卵子は2個。1個は成熟卵で1個は未成熟。
主人の運動率は変わらず余り良くなくICSIにて受精。
翌日受精確認の電話。2つとも受精。その翌日は分割確認。未成熟卵は分割ストップ。1個は分割しているので着床前までに出来る胚、胚盤胞まで育てるとの事。
約1週間後再度電話。胚盤胞手前で分割はストップしてしまったそうです・・・・。
もちろんショックでしたが、何故か前向きにチャレンジしよう!という気持ちが湧き、2周期にトライすることになりました。
1周期目の金額はトータルで約32万円でした。
2周期:2012年7月下旬
新たな気持ちでトライ。
8月上旬 採卵。結果2個成熟卵が採れる。翌日電話したら2個とも受精していて1個は分割胚。1個は胚盤胞の状態まで見て移植したらどうか?と提案。その通りお任せする。
結果胚盤胞までの胚は分割ストップ。もう1個は6分割で凍結していたとのこと。ちょうど私はその頃ヨーロッパ出張もあり、帰国して移植できるかどうか診察することに。
帰国し、その足で病院へ。移植はもう少し先に。とのこと。
9月上旬:移植決定。初の移植へ。採卵よりも移植は痛みもほぼなくあっという間に終わりました。判定日までドキドキ!あぁ赤ちゃんがいます様に・・・。
9月下旬 いよいよ判定!またもや心臓が飛び出しそうでした。結果、陰性 涙。。。合計約36万円。お金ひらひら~。はぁ。
3,4周期:2012年10年~11月中旬
金銭的なものと、精神的なもの、その他いろいろ頑張りすぎてしまい疲れてしまいました。
先生に少し休みたいと相談。3周期は何もせず、4周期目に病院で今週期も休んで次周期からまた治療を再開したい。と伝えたところ、では子宮も休ませましょう。とピルを服用。
その間、普通に生活できる自分もいて、控えていたお酒も飲みに出かけたりと楽しく過ごせました。
主人にもういっぱい頑張って来たし、もう次回の採卵で最後にし、自然に任せても妊娠しなかったら諦めて2人で楽しく過ごして行こうと話し合いました。
一応うん。納得したものの、本当は絶対赤ちゃんが欲しい。と思っていたのが本音ですけど。
5周期:2012年11月中旬
最後。という気持ちで再治療スタート。
ピルで子宮を休ませていたので、排卵しにくいかも知れないとのこと。今回は注射による刺激も行いますとのこと。最後と決めていたしお任せしました。
数値が良く無いので2日に1回通院して注射しました。重なる注射による刺激により11月下旬、いよいよ採卵決定。
今度は注射しているから少し多く採れるのでは?とプチ期待していたんだけど、やはり2個のみ 涙。
主人の運動率は初めてでしたが今回良かったらしくIVFも出来ます。と言われましたが、最後に掛けていたのでICSIを希望しました。
翌日電話したら2個とも受精されているとのことで、今回は2つとも胚盤胞まで経過を診て、もし胚盤胞になった場合凍結して翌周期に移植しましょう。とのこと。もうお任せするしかありませんでした。
私は凍結確認の電話をする日、また海外へ出張。時差もあるので主人に電話をしてもらう様にお願いしました。海外へ出かけている最中は気が気でなく毎日願うばかりでした。
・12月初旬
いよいよ凍結確認電話。主人に電話してもらいました。ドキドキドキドキ。結果、1個は桑実胚でストップ 涙。でもでも1個は胚盤胞までたどり着いてくれたのです!!!
もう本当に本当にうれしっくって泣いてしまいました。
・凍結胚盤胞移植:2012年12月下旬
生理が来てから13日目に来院してくださいとのこと。ん?もしかして年内に移植出来るのかな?
と期待。でも数値は伸びず年明けとなりました。
毎年年末年始は主人の実家へ帰るのですが、治療している旨は以前に伝えていたので今年は帰れない。と言い年末年始は二人でお正月を迎えました。
初詣の願いはもちろん赤ちゃんが授かります様に。です。
・2013年1月上旬
1月6日 年明け初の通院。数値も良いとのことで移植することに。やった!培養士さんより、今回移植する胚の写真とグレードの説明を聞くことに。
アシストハッチングという技法を使うと5~10%位妊娠率があがるとのこと。3万アップでしたが、迷わずお願いしました。移植は無事終わりました。前回に引き続きあっという間でした。
移植した担当医さんからの話によりますと、融解(解凍)した胚はAから始まる5段階評価でグレードはCと妊娠から出産に至るまで35~44%。アシストハッチングをしているので少し確率が上がりますと言われました。
後は判定日まで待つのみです。その間は普通にしていてくださいと言われたので友達と温泉へ出かけたりのんびり過ごしていました。
判定日:2013年1月中旬
いよいよ判定日です。この日まで気持ち悪いとか胸が痛いとか全く症状無し。妊娠していなかったらもう諦めよう。諦めよう。と言い聞かせていました。でも本心は諦められません。
到着後、血液検査をし、待合室にて待機。お願いします。お願いします。お願いします。
30分位経過したら名前が呼ばれました。恐る恐る診察室へ。先生、今日は判定日なんだね、と私の血液検査の紙をあれ?どこかな?と探す。
心臓飛び出ちゃうから早くして!あったあった。と紙を見る。
「良い数値出ていますよ!よかったですね。」って!その病院ではHCGが50以上あれば陽性とみなしている様ですが、私は59.6でした!嬉しいというより、何度も疑って紙を見ていました。
先生曰く、この数値だと妊娠して出産するまで高確率だが、40歳なので微妙に落ちるそうです・・・。
でもでも、結婚してから初めて妊娠の兆候を持つことが出来たのです。夢の様でした。
帰宅して妊娠検査薬を買いました。念願の2本線が見たくて。。。くっきり出ていました!
病院を卒業:2013年2月下旬まで
判定後はだんだんと体調の変化を感じました。胸が張ったり気持ち悪くなったり。。。まず胎嚢確認に一度伺いました。
そして2月上旬の心拍確認。私には全く見えなかったけど無事確認。
いよいよ2月20日。その後の経過を診てもらう事に。こちらも問題無く心拍確認できました。ちっちゃいちっちゃい心臓が動いているのがはっきり見えました。
いつも忙しくてさっささっさと業務をこなしているだけの様に見えた看護師さんが他の治療されている方が多くいらっしゃるので配慮しながら小声で「よかったですね。おめでとうございます」と言ってくれたあの笑顔は今も忘れられません。
最後の採卵から判定まで約48万円でした。
★治療を振り返って
2013年10月、無事元気な男児を出産し今は幼稚園に通っております。
成長と共に言う事を聞かず叱る事が多々ありますが、治療をしたお陰でこの命があるんだ。と思うと未だにウルっとして抱きしめてしまいます。
妊娠に至るまで葉酸やマカを飲み、身体を暖める。などなど良かれと思う事は積極的にトライしました。そして通りかかる神社にはよくお参りもしました。
自分は大丈夫。と思っていた考えがそもそも浅はかだったので、長い期間相当精神的ダメージを受けて参りました。
送られてくるお子さんの写真だけの年賀状が羨ましくて宛名だけ見て伏せてしまう時もありました。
私の数人の友人も妊活していて、自分も経験しているので話をしてくれます。
ずしんとしている気持ちが直に伝わります。でも頑張れなんて軽く言えません。頑張って上手くいくものじゃないと思っています。
口には言えませんが心の底では絶対絶対頑張って!いい結果が出ます様に!と強くお願いしています。今、治療されている方全ての方にいい結果が出ます様心から強くお祈りします。