初めに、私は双子のママです。双子を出産するまでの過程は思っている以上に大変で苦しかったです。
双子妊娠中のママたちにはリアルな経験を伝えることで不安にさせてしまうかもしれませんが、その経験を乗り越えたから今では可愛い息子に囲まれて幸せに暮らしていると勇気を与えられたらいいなと思っています。
そして私は不妊治療経験者です。
排卵誘発剤を使うと?
自然に排卵が起こっていないので排卵誘発剤を使って・排卵を助けてもらい人工授精をして双子を授かりました。
排卵誘発剤を使うことで自然妊娠よりも双子(二卵性)になるリスクが高くなるそうですがまさにそれです。
双子の妊娠が分かった時は25歳でした。
私の周りはまだ独身が多く、甥っこ姪っ子もいなかったので身内を含め親しい友達の間でも初めての妊娠でした。
そんな中の双子の妊娠、それを医師に告げられた時は私も主人も笑うしかなかったです。
妊娠発覚の2か月前に初期の流産をしてしまい、これでもかというほど涙をながし、人生のドン底と言っても過言ではないほど落ち込んでいました。
私は、その子が戻ってきてくれたから双子を妊娠したのだと今でも思っています。
しかし、嬉しさの余韻に浸っている余裕はなく、妊娠が発覚した数週間後から悪夢のような悪阻との戦いが始まりました。
悪阻との戦い
悪阻は主に、吐き悪阻と食べ悪阻がありますが、私の場合は両方でした。
双子だから悪阻が重いというわけでもなく、遺伝でもなさそうです。
ゆえに体質なのでしょうね。
お腹が減ると気分が悪くなるので何か口にする、すると途端に気持ちが悪くなりトイレに駆け込む、を繰り返す毎日。
吐いてもすっきりせず、とうとう血までも吐くようになっていました。
点滴が効くときいたので病院にも行きましたが、点滴を終えてお会計の直後に嘔吐ということもありました。
さすがに「何でなん!!」と突っ込みたくなりましたし、点滴にはもう行かないと決めました。
そんな悪阻も丸2か月が経つと、あの辛くて仕方がなかったムカムカ感もすっかり無くなり、妊娠前のいつもの体調に戻りました。
悪阻で苦しんでいる人へ、
悪阻は絶対に終わりが来ます!今は辛くて気持ちも萎えてしまっていると思いますが、絶対に終わりが来ます!!耐えてください。
安定期に入り、お腹も少しポッコリと出てきて、戌の日には腹帯をもらいに行き、これから出産までのマタニティライフを楽しもうと思った矢先の検診で、
「今日から入院して下さい。」と医師に言われました。えっ?!今日??
目が点になっていました。
入院生活へ
出血もなくおなかが張る感覚も無かったので、自分でもよくわからないまま入院グッズをかばんに詰め込んで、その日の夕方から絶対安静と点滴の日々が始まりました。
当時私は20週でした。
絶対安静の入院生活はとりあえず暇でした。トイレとお風呂のみ歩いてよくてあとはずっと寝たきり状態。
テレビを見るか、ゲームをして時間を潰す毎日で、できれば座るのも控えて欲しいと言われており本当に生き地獄と思っていました。
医師からは、「とりあえず24週まで頑張ろう。」から始まり、「次は26週まで頑張ろう。」と徐々に目標を伸ばしていきました。
今、産まれてしまったら子供はどうなるのですか?とよく看護師に質問しては返答を困らせていました。副作用もありました。
ウテメリンンを使っていたのですが、手のしびれがあり食事の際お箸をつかうのが困難でした。
入院して1週間後には、子宮頚管を縛って赤ちゃんが出てこられないようにするマクドナルド手術も行いました。
部分麻酔でカチャカチャという音だけが聞こえて、子供は大丈夫かなと心配でならなかったです。
手術後、心拍を確認できた時はポロっと涙がこぼれました。
マクドナルド手術をしたからといって退院できるわけではなく、その後も絶対安静の日々は続きました。入院生活は初冬から始まりました。
私にとって冬は、誕生日、クリスマス、元旦と行事が何かと多い季節です。
それを病室で過ごすということが耐えられず、ワガママを言って一時退院させてもらった期間もありました。
自宅では、張り止めの薬を6時間に1回忘れずに服用し、張りが強い時はその時に服用するよう言われました。
自宅に帰っても基本寝たきり状態でした。点滴は3、4日の間隔で刺し直しでした。
中心静脈カテーテル
さすがに打つところが無くなっていき、両手首のあたりは内出血だらけ。そこで提案されたのが、中心静脈カテーテルです。
これだと10日から2週間は持続すると言われました。
カテーテルという響きはあるテレビドラマで聞いたことがありましたが、中心静脈カテーテルは病室のベッドの上で行われました。
医師が「麻酔しますか?しなくても我慢できるかな・・」というニュアンスの言葉をかけられたので、私も麻酔の注射が痛くて嫌でしたから「麻酔なしで頑張ってみます!」と答えました。
判断ミス。それは経験したことのない痛みでした。麻酔を選択しなかった自分を悔やみました。
あのときの事は、痛みの度合いこそ忘れましたが、痛かったという事実は忘れられません。それほど苦痛な痛みでした。
そんな痛みに耐えた5日後、朝から特に異常もなく張りも治まっており検診でもこのまま頑張りましょうね、との言葉をもらっていた夜中の事です。
いつものように病室のテレビを横になって見て、相部屋の妊婦さんとたわいもない話をし、そろそろ寝ようかという時です。
破水!
最初、おしっこをもらしてしまったと思い膀胱に力を入れてみたけれど止まらず、焦って私は隣に寝ている妊婦さんにナースコールを押してもらい看護師が急いで病室にやってきました。
「破水だね。」
シーツは透明で臭いも無く、確かにおしっこでは無いなとわかりました。その時、私は妊娠31週と1日。
お腹の赤ちゃんの産まれる準備は32週が境目と言われていました。
妊娠32週に大事な機能、肺サーファクタントが完成します。
ですので、それ未満に産まれてきた場合、肺胞が出生により開くことが出来ず肺呼吸が開始できないという重大な問題が起こります。
また、聴覚も聴覚器官はかなり前から出来ていますが脳との神経連絡が妊娠32週未満ではまだ完成ではありません。
それらの事を踏まえて、32週までは絶対に頑張りたいと思っていました。しかし、現実は31週での破水。
少しでも赤ちゃんのためになるようにと筋肉注射を打たれ、帝王切開の同意書等を書かされ、周りがてんやわんやし、私も「頑張ってあの痛いカテーテルをしたばっかりなのに。」と思ったりしている中で軽く陣痛が始まりました。
主人が病室に来ると、私は「ごめん。お腹の中にもう少しおらせたかった。ほんとゴメン。」と言って泣いてしまいました。
手術室に入り、麻酔。
麻酔を打つと気分が悪くなり嘔吐。お腹も痛いしでもう何が何やらわからない状態でした。しばらくして医師から「赤ちゃんとりだすよ。」と。
手術前に看護師から、もしかすると小さすぎて産声をあげないかもしれないねと言われていましたが2人も元気に泣いてくれました。その時の感動は忘れられません。
すぐにNICUに運ばれていきましたが、ほんの一瞬私のそばに連れてきてくれました。想像以上の小ささではありましたが、五体満足で産まれてきてくれたことに感謝です。