【顕微授精の体験談】採卵までの道のりと自分で打った注射の話

不妊の体験談

私は『採卵』までの道のりが今でも長く感じています。色々な検査をした結果、私達夫婦に残された選択肢は、『顕微受精』でした。

 

『顕微受精』とは、まず採卵、精子の採取、受精(顕微鏡下で成熟卵子1個に対し1個の精子を細胞内に注入)、胚移植の順番で行います。

 

その過程の中の『採卵』をアメリカと日本の病院で経験しました。

 

まずアメリカの病院では、最初の難関である『採卵』にすら辿り着けず、キャンセルになってしまいました。

 

それでも諦め切れなかった私は、日本での治療を決め、幸運なことに日本では『採卵・胚移植』まで辿り着くことができました

 

そこで、アメリカと日本の病院の『採卵・胚移植』までの道のりを比べてみました。

 

【アメリカでの採卵】

 

★1回目:2013年2月
採卵の前周期でピルの服用→採卵の周期(自己注射)→採卵キャンセル

 

★2回目:2013年5月
採卵の前周期でピルの服用→採卵の周期(自己注射)→採卵キャンセル

 

※注射の話

 

■私の注射は、お腹に打つ皮下注射でした。LuoronとMenopurという2種類から始まり、その後、ペン型の注射も途中から加わりました。

 

薬の量が決まっていたので、自分で注射針を使い、決められた分量を取り、これを朝晩決められた時間帯に注射をし、何日か続けました。

自分で注射

■よくテレビで見るあの場面を思い出してください。薬を入れたあと、注射針を上にかざし、爪でツンツンと注射針を刺激し、薬を入れたときに入った空気を出すのですが、この作業も自分でしなくてはなりません。

 

■毎日注射のために病院へ通わなくても済むというメリットはありましたが、素人の私が打つ注射なので、刺すこと自体怖かったです。

 

※アメリカで採卵キャンセルになった理由

 

採卵数日前に、『採卵』ができるかどうかの検査があります。

 

この検査で、「卵胞があまり反応していない、育って採卵できても1つか2つ」と言われ、2回とも同じ理由でキャンセルになりました。

 

【日本での採卵・胚移植】

 

採卵・胚移植1回目:2014年1月
採卵の前周期でピルの服用→採卵の周期→採卵(7個)→新鮮胚移植(2個)→着床せず

 

(通常であれば、この段階で精子採取も行うと思いますが、私たちの場合、既にTeseで採取済み、凍結してあるので、この日の精子採取はありませんでした。)

排卵・胚移植

■1回目の採卵数 →7個(そのうち4個受精卵に成功)
■受精卵になった4個のうち →2個 新鮮胚移植(残念ながら着床せず)
■残り →2個 凍結保存(2014年6月に移植)

 

★凍結胚移植:2014年6月
凍結胚移植(1月に凍結した2個)→5週目で流産

 

★採卵2回目:2015年3月(採卵のみ)
採卵の前周期でピルの服用→採卵の周期→採卵(7個)→5個凍結保存

 

■2回目の採卵数 →7個(そのうち5個受精卵に成功)
■受精卵になった5個 →現在、5個全て凍結保存中

 

※注射・採卵までの話

 

■アメリカの自己注射と違い、毎日病院へ通わなければならない大変さはありますが、安心して受身でいられるので、精神的にものすごくストレスが減り、リラックスして臨めたんだと思います。

安心して注射を受けれる

■注射はお尻に打つ筋肉注射でした。
(1回目はFSHとHMGの2種類、2回目はHMGのみ)

 

■2回目の採卵は、実はキャンセルになるかもしれなかったんです。採卵数日前の検査でホルモン数値に問題があり、「採卵できるか分からないので、採卵当日に診察してから決める」と言われ、それから採卵までは、諦めモードの2日間でした。

 

しかし、当日の診察で先生から「大丈夫です、今から採卵します」と言われ無事に採卵できました。

 

不妊治療は心配事が多い

 

不妊治療を続けている私たちには心配事がたくさんありますよね。

 

まず生理が無事にくるか、採卵できるか、何個採卵できるか、何個受精できるか、何個着床できるか、など心配し始めたらきりがありません。

 

不妊治療していない人には、ごく普通の日にすぎませんが、私たちにとっては、一つ一つの難関に、スムーズに問題なく進めるかどうかを心配しながらの毎日です。

不妊治療が不安

病院に通っている間も、毎月の生理周期で治療ができれば運がいいほうです。

 

アメリカでのある周期では、Cystと呼ばれる脳腫のようなものができたので、採卵を一月延ばすと言われたこともあり、また別の周期では、何らかのホルモン数値がよくないと言われ、また先に延ばされました。

 

『病院に通う=採卵=受精=着床=妊娠』と、どうして真っ直ぐ進めないのかと、本当にストレスを感じていました。

 

日本では無事に排卵できた

 

でも日本にいるという安心感で、ストレスも減り、私をサポートしてくれる主人や家族、友人、そして信頼できる先生や看護師さんたちが側にいてくれるお陰で、こうして運良く日本では、『採卵・胚移植』にまで辿り着けたんだと思います。

 

私の日本の先生は、よく言えば『寡黙な先生』、悪く言えば(言っちゃいけませんが)『口数が少なく、ほとんど話さない先生(あとは看護士さんがフォローしてくれます)』です。

 

あるとき、「アメリカで採卵できなかったのに、日本で(この病院で)採卵できたことを先生がとっても喜んでいたよ」と看護士さんから聞きました。

 

普段無口な先生も、2回目の採卵ができたとき、先生自ら微笑みながら、「本当に良かったな~!」と心からのお言葉をいただきました。

医師が褒める

現在も日米を往復する生活

 

現在も日米を往復しながら治療を続けているため、どうしても時間がかかってしまい、治療が思いのまま進まないこともよくあります。

 

36歳の私は自分でも、いつまで治療が続けられるか、いつかどこかで境界線を引かなければならないと思っています。

 

ただ今は一つの目標に向かい、一歩ずつ前へ進むことしかできませんが、一歩進めたその時点で次のオプションを考えるようにしています。